野口遵
曾木電気
鹿児島県伊佐市にある曽木発電所跡に行ってきました。
— 社会科見学に行こう! (@kengakuorg) 2018年7月3日
この発電所は1909年、牛尾大口金山に電力を供給するために作られたもので、昭和40年に鶴田ダム建設の際、ダム湖に水没。
夏の時期は水害を防ぐためダム湖の水を抜いているため姿を現します。
今後、3DCG化も試みたいと思います。 pic.twitter.com/KcDMCTgYmP
鹿児島県にある曾木発電所を見学できるガイドツアーがあるらしい。夏になるとダムの水位が低下して、水面の上に現れる。
実は、この曾木発電所、日本の名だたる企業の原点でもあって、日本の重化学工業の発展の歴史を考えると、とても価値のある建物。
チッソ、JNCが曾木電気の直接の後身で、旭化成や信越化学なども曾木電気から派生して設立された企業。
野口遵
この曾木電気を設立し、関係する企業グループ「日窒コンツェルン」を創設したのが野口遵(のぐち したがう)。
1837年石川県金沢市生まれで、石川県出身の自分にとっては、とても尊敬している企業家の一人。
野口は、帝国大学工科大学電気工学科を卒業した後、電力関係の技師として、各地の発電所や送電線の設置に関わっていた。
その野口のところに、鹿児島県の鉱山関係者から鉱山に供給するための発電所を建設してほしいと頼まれ、野口は鹿児島県の矢楯川に1907年水力発電所を設置して、これが曾木電気となる。
そしてこの曾木電気を起点として、生み出される余剰電力を使って、カーバイド、アンモニア、その副生品を事業化して日窒コンツェルンを大きくしていった。
日窒コンツェルンは、
などと並び、1930年代以降、日本の重化学工業を勃興させた新興企業グループだが、朝鮮に積極的に進出し、終戦時は、資産の約8割が朝鮮半島にあった。
終戦により、その資産を喪失しグループは大きく縮小したという歴史も持っている。
北朝鮮では、現在でも日窒が作ったダムが現役らしい。
こういった同郷の偉人が残した功績のもとに自分たちは生きているし、功績がもっと知られてほしい。
最初に載せたツイートに戻るけど、同郷の偉人が作った産業遺跡の曾木発電所、一度ぜひとも見に行きたい。
今日の関連株
旭化成(東証一部 3407)旧‐日本窒素肥料(日窒)の延岡工場を譲受して設立。
積水化学工業(東証一部 4204)戦後、日窒従業員の救済のために設立。