ラピスラズリの青

主に自分の好きなものや興味のあることと企業をからめて

連綿と続く事業の系譜

年末に世界経済の先行き懸念が広がったときに、いくつかの企業の株を買った。

 

基本的には、バリュー投資を基本としているから、こういう買い場は積極的に行動したいと思ってる。

 

そのいくつか買った株のうちの一つが、昭和電工

 

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「株価は2018年10月には一時6470円を付けるも、現在は3000円台後半の推移」

 

昭和電工は、かなり手広く事業を手掛けている化学メーカーで、

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昭和電工は無機セグメント(黄色)の利益が急増している」

今期は「無機セグメント」の「黒鉛電極」の収益性が急激に良くなり、利益のほとんどを稼ぎ出している。

 

黒鉛電極」は鉄スクラップを溶かす際に使われるもので、中国が低品質な鉄の規制を強化したことで、「黒鉛電極」の需要が急増し、価格は3倍にも跳ね上がった。

 

昭和電工黒鉛電極で世界シェアトップのメーカーで、その波に乗って、2期連続の最高益を更新中(来期も最高益更新の予想)

 

昭和電工の創業史

昭和電工は、日本史で習う「新興コンツェルン」のうちの一つで、当時は「森コンツェルン」と呼ばれた企業集団の中核企業。

 

森コンツェルンと呼ばれるのは、創業者・森矗昶(もりのぶてる)からきている。

 

森矗昶は、今の千葉県勝浦市に生まれで、漁師であった父が始めた、カジメという海藻を焼いて、ヨードを作る事業を手伝いながら、16歳でヨード工場を興した。

 

1908年には、付近のヨード業者を統合して「総房水産」を設立、営業部長になった。

 

日露戦争が勃発すると、需要の高まりから、ヨード製造事業は発展したが、日露・第一次世界大戦終結すると、一転して壊滅的な打撃を受けて存続が困難な状況に陥った。

 

そんな窮地を救ったのが、味の素の創業者・鈴木三郎助

 

鈴木三郎助は同じくヨード製造事業を営んでいたから、森とは知り合いだった。

(鈴木が味の素を創業する前に行なっていたのがヨード製造)

 

鈴木は、第一次世界大戦によって欧州からの輸入が途絶した「塩素酸カリ」を1915年から製造していたが、これをより大きな事業として始めようとしていた。

 

塩素酸カリを作るには、大量の電力が必要なので、長野県の千曲川水力発電を行う、

 

東信電気」を1917年に設立していた。

 

この東信電気に、森矗昶の総房水産を吸収させて、森には水力発電工事にあたらせた。

 

電気化学工業

1919年には森の尽力で水力発電設備は完成した。

 

一方で、塩素酸カリの生産に必要な以上の電力が発生したことから、

 

森は

①石灰窒素の製造   ②硫安の製造

という二つの電力多消費事業を始めることを目指した。

 

「電炉技術」と「電気分解

これらの事業に必要な技術が「電炉技術」と「電気分解」の二つ。

 

昭和電工は現在、多岐にわたる事業を営んでいるが、大半の事業は調べてみると

 

そのどちらかの事業との関連がある。

 

昭和電工が「黒鉛電極」を作れるのも、「電炉技術」と関連がある。

 

電炉を自社で内製する過程で製造を始めたのが黒鉛電極。

 

 

 

こういう風に「なぜその会社がその製品を作れるのか、作っているのか」

 

を調べていくとなかなかおもしろい。

 

関連株

昭和電工4004)‐ 今日の終値3,680円で換算すると、予想PER4.47倍とかなり割安に見える。今期の業績予想も慎重だし、上方修正あるんではと思ってる、知らんけど。