連綿と続く事業の系譜
年末に世界経済の先行き懸念が広がったときに、いくつかの企業の株を買った。
基本的には、バリュー投資を基本としているから、こういう買い場は積極的に行動したいと思ってる。
そのいくつか買った株のうちの一つが、昭和電工。
昭和電工は、かなり手広く事業を手掛けている化学メーカーで、
今期は「無機セグメント」の「黒鉛電極」の収益性が急激に良くなり、利益のほとんどを稼ぎ出している。
「黒鉛電極」は鉄スクラップを溶かす際に使われるもので、中国が低品質な鉄の規制を強化したことで、「黒鉛電極」の需要が急増し、価格は3倍にも跳ね上がった。
昭和電工は黒鉛電極で世界シェアトップのメーカーで、その波に乗って、2期連続の最高益を更新中(来期も最高益更新の予想)
昭和電工の創業史
昭和電工は、日本史で習う「新興コンツェルン」のうちの一つで、当時は「森コンツェルン」と呼ばれた企業集団の中核企業。
森コンツェルンと呼ばれるのは、創業者・森矗昶(もりのぶてる)からきている。
森矗昶は、今の千葉県勝浦市に生まれで、漁師であった父が始めた、カジメという海藻を焼いて、ヨードを作る事業を手伝いながら、16歳でヨード工場を興した。
1908年には、付近のヨード業者を統合して「総房水産」を設立、営業部長になった。
日露戦争が勃発すると、需要の高まりから、ヨード製造事業は発展したが、日露・第一次世界大戦が終結すると、一転して壊滅的な打撃を受けて存続が困難な状況に陥った。
そんな窮地を救ったのが、味の素の創業者・鈴木三郎助。
鈴木三郎助は同じくヨード製造事業を営んでいたから、森とは知り合いだった。
(鈴木が味の素を創業する前に行なっていたのがヨード製造)
鈴木は、第一次世界大戦によって欧州からの輸入が途絶した「塩素酸カリ」を1915年から製造していたが、これをより大きな事業として始めようとしていた。
塩素酸カリを作るには、大量の電力が必要なので、長野県の千曲川で水力発電を行う、
「東信電気」を1917年に設立していた。
この東信電気に、森矗昶の総房水産を吸収させて、森には水力発電工事にあたらせた。
電気化学工業
1919年には森の尽力で水力発電設備は完成した。
一方で、塩素酸カリの生産に必要な以上の電力が発生したことから、
森は
①石灰窒素の製造 ②硫安の製造
という二つの電力多消費事業を始めることを目指した。
「電炉技術」と「電気分解」
これらの事業に必要な技術が「電炉技術」と「電気分解」の二つ。
昭和電工は現在、多岐にわたる事業を営んでいるが、大半の事業は調べてみると
そのどちらかの事業との関連がある。
昭和電工が「黒鉛電極」を作れるのも、「電炉技術」と関連がある。
電炉を自社で内製する過程で製造を始めたのが黒鉛電極。
こういう風に「なぜその会社がその製品を作れるのか、作っているのか」
を調べていくとなかなかおもしろい。
関連株
昭和電工(4004)‐ 今日の終値3,680円で換算すると、予想PER4.47倍とかなり割安に見える。今期の業績予想も慎重だし、上方修正あるんではと思ってる、知らんけど。