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玄関口としての「品川駅」

▶玄関口としての「品川駅」

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11月19日の日本経済新聞朝刊に載っていたが、2020年3月の羽田空港の国際線発着枠拡大により、羽田発の欧米路線が現在の2倍の18路線になる。拡大後は欧米路線数で成田空港の7路線を上回ることになる。

 

1978年に成田空港が完成したことで、長らく「国内線は羽田、国際線は成田」と棲み分けがなされてきたが、2009年、当時の前原・国土交通大臣が「羽田のハブ化」を打ち出したことで羽田の再国際化が進んできた。都心からの近さ、国内線との乗り継ぎでの強みを持ち、今後も飛行経路の見直しなどで離発着数は増加していくことが予想される。

 

そうして新たに世界と日本を繋ぐ玄関口となりつつある羽田空港だが、羽田の重要性が高まっていることで、羽田と東京都心部とを結ぶ品川駅の重要性も高まっている。そして品川駅の隣に山手線新駅「高輪ゲートウェイ駅」が2020年に開業すること、品川駅西口で大規模再開発が始まること、2027年に開業するリニア中央新幹線の始発駅が東京駅ではなく品川駅になること、そして横浜市がカジノを含むIR施設の誘致を表明したこと、など2030年頃までイベントに事欠かない。

 

交通アクセスが良いイメージがある品川駅だが、意外にも品川駅に東海道新幹線が停まるようになったのは2003年。ビジネス街として発展している港南口側もつい20年前頃までは新幹線の車両基地、工場、倉庫が立ち並ぶ場所でしかなかった。高輪口側も品川プリンスやSHINAGAWA GOOSなどシティホテルが立ち並ぶものの、高層オフィスビルは少なく、今でもそれほど土地利用は高度ではなく、まだまだ再開発の余地は大きく、発展途上の街だ。

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品川の歴史を見てみると、江戸時代は日本橋から始まる東海道の最初の宿場町、つまり「江戸の玄関口」として栄え、明治期に入ると、当時の国際港である横浜と品川を結ぶ日本初の鉄道が明治5年(1872年)に開業するなど、交通の結節点として非常に重要な役割を果たしてきた。これから数年~十数年かけて、再び品川が交通の結節点としての街になるのだろう。もっと言えば、オフィス機能もより強化され、都心としての性格が強まるのではないか。

 

「東京の都心は、だんだんと西に移動してきている」という方もいるし、この大きな流れに沿って、日本の玄関口としての品川、そして周辺の大崎、大井町など東京の西側の街の様子や、再開発余地について散歩しながら考えていきたい。

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