イラン・ジャパン石油化学
▶イラン・ジャパン石油化学
核開発やそれに伴う経済制裁など、今は対米関係でいろいろある中東の国イラン。
日本は歴史的にイランと友好的で、かつアメリカのトランプ政権とも良い関係を築いているため、両国の間を仲介しようと安倍首相が先日、日本の首相として約40年ぶりにイランを訪問した。
そういう取り組みはどの国でもできることではないので、これからも安倍首相には外交で頑張ってほしい。
ところで、今回の安倍首相の訪問の約40年前にイランを訪れた日本の首相はなんでイランに行ったのだろうと思って調べてみた。
前回イランを訪問したのは1978年の福田赳夫首相。
1978年はイラン革命が起きる前年であり、既にイラン全土で国王打倒運動が行われ、情勢も悪化している時だった。
イランでは1971年から、日本の三井物産を中心としてイラン・ジャパン石油化学(IJPC)という会社を設立し、巨大な石油化学プロジェクトの建設作業を進めていた。
福田首相はそのことに絡んで、訪問したと思われる。
この後、IJPCは不運な運命を歩み、日本企業の海外進出に伴って高まるカントリーリスクの代表例として語られるものとなった。
石油化学プラントは1978年末には85%の工事が終了していたが、翌年1979年にイラン革命が起き、日本人は総員帰国を余儀なくされた。
その後、1980年から工事を再開するものの、今度はイラン・イラク戦争が勃発し、8年に渡る戦争で、このイラン・ジャパン石油化学のプラントも度々、イラク軍からの空爆を受け、操業不能の状態になる。
こうなって、6000億円を投じたこのプロジェクトから三井物産を中心とする日本側各社は撤退を決断し、1989年にIJPCは清算の合意がなされた。
三井物産は総額で約2000億円を損失した。
この首塚は、関東大震災後の再開発でも、戦後にGHQが区画整理しようとしたときも関係者が不審死したり、事故にあったりしたため、「動かそうとすると祟りが起きる」と言われている。
三井物産がイランの石油化学案件を進めていたころも、本社建て替えで首塚を移転させようとしていたとされる。
現在、三井物産は本社の建て替えを行っているが、首塚を避けるように建てている。