Genky DrugStores
Genky DrugStores
先日、帰省していたときにドラッグストアのゲンキーを見てきた。
北陸のドラッグストアというと、まず名前があがるのが石川県のクスリのアオキ。次いで福井県のゲンキー。
店内を見てみると、有名なメーカーが作っているナショナルブランドNB(左)とゲンキーが委託業者に作らせている安いプライベートブランドPB(右)を比較している。(結構、露骨だからNBメーカーから嫌われてそう)
チューハイも、大手メーカーのものよりゲンキーのPBの方が陳列棚から減っているようだし、多分、そこそこ売れている。
さらにすごいのが弁当。この値段でこれが売れるのは驚く。昼時に行ったけど、工事現場の作業員っぽい人が買っていた、この値段だとコンビニより一回り安いし当然。
ゲンキーはPBを中心に食料品がすごく安い。やはり「安さ」は消費者から選ばれる強い要因の一つ。
その安さを維持できるからくりとしては、ドラッグストアは比較的利益率の高い医薬品や調剤での利益を食料品などの値下げの原資にして、客を引く目玉商品にできることが挙げられる。
そのため、ドラッグストアはスーパーと比較しても食料品が安いことが多い。
そしてゲンキーはこの安売りを武器に、福井県から石川県、岐阜県、愛知県などで近年、店舗を拡大、業績も伸ばしている。
福井県では半分近いシェアを持ち、今後3年以内に石川県、岐阜県でシェア1位になることを計画している。
10月からの消費増税を控えて、消費者の生活防衛意識が高まれば、安いドラッグストアやディスカウントストアが売上を伸ばす展開もあるかもしれない。
業績も悪くなく、株価もわりと安値圏だから、気になるといえば気になる。
今日の関連株
Genky DrugStores(東証一部 9267)福井県発祥のドラッグストア。石川、岐阜、愛知に展開。
クスリのアオキホールディングス(東証一部 3549)北陸地盤のドラッグストア。信越や北関東にも店舗展開。
温泉掘り当てたい
温泉掘り当てたい
僕の実家には『こち亀』がたくさんあって、帰省するとお風呂に入りながら読んだり、寝る前に読んだりしているのだけど、けっこう温泉とか銭湯の話が多い。
温泉絡みの話で好きなのが、第165巻4話の「ひょうたんからひょっこり島の巻」
こちら葛飾区亀有公園前派出所 165 (ジャンプコミックスDIGITAL)
- 作者: 秋本治
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2013/02/19
- メディア: Kindle版
- この商品を含むブログを見る
ネタバレにならない程度に簡単に内容を説明すると、
- 両さんが知り合いの住んでいる離島に魚を釣りに行く。
- その島の村長に頼まれて、島の振興のために温泉掘削を手伝う
- 油田を掘り当てちゃう
という話。
この話を読むといつも思い出す企業がある、富山県に本社を置く大谷天然瓦斯という企業。
大谷天然瓦斯は社名の通り、1959年に天然ガス田の掘削を目的に設立された企業。
その後、1963年に三重県の長島町で天然ガスの試掘調査を行なっていたところ、温泉が湧出し、それ以降、現在の長島スパーランドに代表される長島温泉という日本でも有名な一大温泉街として発展するきっかけとなった。
今でも、大谷天然瓦斯は、長島スパーランドや周辺のホテル、ゴルフ場を運営している長島観光開発の大株主でもある。
つまり、
『こち亀』は、温泉が目的で掘っていて、油田を見つける話。
「大谷天然瓦斯」は、ガス田を探していて、温泉を見つける。
全く逆の話。
まあ、どちらも本当にこの下にあるのかどうかわからないものを掘っているという点では同じだし、価値のあるものを探すというのはやっぱり古今東西問わずロマンだよねえ。
僕も油田掘り当てて斉藤優里ちゃんに貢ぎまくるか、温泉掘り当てて斉藤優里ちゃんと一緒に温泉に入りt(以下 自主規制)
今日の関連株
鉱研工業(東証JQS 6297) 温泉開発や地下水開発などを手掛ける他、ボーリング機器の製造販売も行う。
極楽湯ホールディングス(東証JQS 2340) スーパー銭湯「極楽湯」を展開。
東京ドーム(東証一部 9681)東京ドームシティでスパ施設「スパラクーア」運営
藤田観光(東証一部 9722)箱根、伊東、由布院などで温泉を運営
大江戸温泉リート投資法人(東証 3472)大江戸温泉物語グループの温泉施設に投資する不動産投資信託
「財閥」=同郷の実業家集団
「財閥」=同郷の実業家集団
ただ今、石川県に帰省中。
今日の昼食は小松の「カレーの市民アルバ」でカツカレー。
「アルバ」は金沢カレーの正統な流れを汲むカレー店で、歴史を辿ると金沢カレー発祥の店「レストラン ニューカナザワ」に行きつく。
「アルバ」の創業者・今度忠さんも、「レストラン ニューカナザワ」で働いていて、ここから独立する「チャンピオンカレー」「キッチンユキ」「インデアンカレー」「うどん亭 大黒屋」の開店に当たっては各店を手伝ったりしていた。
つまり、金沢カレーの本家の味を知り、そこから分かれた金沢カレーの味も知るのが、今度さん。
その今度さんが1971年に独立開業したのが小松市の「カレーの市民アルバ」。
ボリュームがあって、4種類のトッピングが食べられる「満塁ホームランカレー」がやっぱりおすすめ。今日は食べなかったけど。
この「カレーの市民アルバ」は実は石川県だけじゃなく、東京にも3店舗ある。
東京の店舗は、KGFという企業がフランチャイズ権を持って展開しているもので、このKGFは大手電子部品商社「加賀電子」がもともとの親会社。(2010年にアルバが買い戻している)
石川県小松市出身の加賀電子創業者、塚本勲がカレーの市民アルバの今度さんの高校の先輩だったことからできた関係。
同郷の経営者同士の関係というのは、意外と多い。
富山県出身の安田財閥の安田善次郎は、同じく富山県出身の浅野財閥の浅野総一郎を支援したし。
石川県だと、ポンプの荏原製作所創業者である畠山一清が、辰村組(現-南海辰村建設)の設立を支援したり。
そもそも財閥という言葉の定義は「同郷の実業家の集まり」というものだったことからも、昔からそういう繋がりは多く、そして強かったのだろうなあと思う。
自分も東京で、同郷の人と会うとやっぱりグッと距離が縮まる。
これからも、同郷の繋がりは大切にしていきたいし、そういった同郷の方と会うときに楽しく喋れるように、東京にいても石川県のニュースなどにはちゃんと目を通しておきたいなあと思う。
電子部品業界も再編が厳しくなっているけれど、同郷の創業者が作った加賀電子には頑張ってほしいかなあ。
斉藤優里1st写真集
斉藤優里1st写真集
斉藤優里さんが5月末に卒業を控えている今、全国、全世界の斉藤優里ファンが待望しているのは『斉藤優里1st写真集』だろう。
斉藤優里さんはこれまでずっと、卒業するまでの夢として「写真集を出すこと」を挙げてきた。
斉藤優里さんを推している自分たちからすれば、それは斉藤優里さん個人の夢であると同時に自分たち、ファンの夢でもある。
それだけでなく、写真集が発行されれば、国の制度として国会図書館に納本され、資料として長い長い間、保存され、後世の人々にも25歳の斉藤優里さんの姿が残されていく。
ほぼ毎日、斉藤優里さんからメールが送られてくる「モバイルメール」というサービスを購読しているけれど、いつも本当にお美しく、かわいい。
この姿はやはり後世にも伝えていくべき。
個人的に見たいショットは、やっぱり笑顔が似合うお方だから、良い天気の公園で楽しそうにピクニックしているようなものとか、お花畑でニコニコでふざけているものとか。こうやって妄想するとニヤニヤしちゃう。
撮影地は、台湾とかタイとかマレーシアとかが似合いそうだよねえ。斉藤優里さんならどこであろうと最高の写真集になると思うけどさ。
これまで写真集を出してきたメンバーのデータを見ても、斉藤優里さんが写真集を出すことは非現実的な夢ではない.
それだけになおさら、5月に入ったこの時点でも写真集発売の予定がないことに焦りを感じる。
それと、最近、インタビューで、卒業後の夢を聞かれて「夢はあるけど、実現できなかった時、ファンの皆さんを悲しませたくないから、今は言わない」というようなことを言っていて、
これはもしかすると、今まで写真集を出したいと言ってきたけど、夢が実現できず、ファンを期待させてしまって申し訳ないから、同じようにならないように卒業後に関しては言わないことにしたんじゃないかと深読みしている。
そうでないことを祈る。
どうか出版社の方々には早く斉藤優里1st写真集を出していただきたい。お願いします。
今日の関連株
KADOKAWA(東証一部 9468)総合出版社大手5社のうちの1社。個人的推測だが斉藤優里1st写真集が出るのはここじゃないかなあと思っている。
令和初日の思い出
令和初日の思い出
令和初日の5月1日は幕張メッセに握手会に行ってきた。
もちろん握手の相手は、僕の天使、斉藤優里さんと伊藤かりんさん。
2人は5月末のライブで卒業が決まっていて、自分は2人との最後の握手だった。
2人とも、いつものように明るくて、最後の握手会であることをファンに感じさせない温かい雰囲気だった。
乃木坂を推していると、「メンバーがメンバーを想う」「メンバーがファンを想う」「ファンがメンバーを想う」シーンがとても多い。
こういう「人が人を想う気持ちの素晴らしさ」を日常生活で感じることはそれほど、多くないような気がするし、自分が乃木坂に熱中できるのはそういう点があるからなのかもしれない。
まとめると「メンバーやファン、スタッフなど、乃木坂に関わっている人はみな乃木坂が好き」なんだと思う。
それがここまで支持されていて、人気がある理由なのかなあ。
『今が思い出になるまで』ずっと応援していたいし、乃木坂ちゃんたちには、令和の時代もお世話になると思う。「これからもどうぞよろしくお願いします」というかんじ。
今が思い出になるまで(初回生産限定盤)(Blu-ray Disc付)(特典無し)
- アーティスト: 乃木坂46
- 出版社/メーカー: SMR
- 発売日: 2019/04/17
- メディア: CD
- この商品を含むブログを見る
新しい時代「令和」
新しい時代「令和」
日本は、やっぱりなんだかんだ天皇陛下の退位と、それに伴う改元が近づいてくるにつれて、慶祝ムードが高まって、良い雰囲気になった。
近所のスーパーでは、祝令和ビンゴゲーム大会とかやってるし、紅白饅頭を配る予定のところもあるらしい。
こうして国民皆が新しい時代を迎えることを祝える代替わりだったこと、すごく喜ばしいなあと思う。
自分の生まれた時代「平成」をこういう形で終え、次の時代に期待と希望を抱けること、天皇陛下に感謝の念。
ニュースで、街頭でのインタビューの様子を見ると「令和も平成のように平和であってほしい」というような声が出ていたけれど、平成は、次の時代も「平成のように」と思える良い時代だったのだなあ。
自分は、新しい令和の時代は、斉藤優里さんとの握手で幕を開ける予定です。
幸先良いスタートですね。
良い年、良い時代であることを祈って乾杯。
おまけ
平成創業の時価総額上位10社
令和に伸びる企業に投資したいね。
一隅を照らす、これ則ち国宝なり
一隅を照らす、これ則ち国宝なり
ラーメンWalkerの動画で、ゆったんが食べていた埼玉県志木にある「麺家うえだ」で「焦がししょうゆラーメン」を食べてきた。
ゆったんの「いっただっきまーす」かわいすぎるんですよ。
やっぱりゆったんは関わる人を幸せにする力を持っていると思う。
そういう能力を活かせる乃木坂46という場で、仕事をしているのは、
最澄の言った「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らすこれ則ち国宝なり」だと思う。
「たくさんの径寸(=金銀財宝)は国の宝ではなく、それぞれ置かれた場所で、自分の能力を活かし、できることを尽くす人こそが国の宝である」という意味らしい。
ゆったんには元気や希望を貰うばっかりだけど、逆に自分がゆったんや社会に対してできることってなんなんだろうと考える。
25歳までには、「これだ」というものを見つけて、社会の一隅を照らしていけるような人間でいたい。
そして、その自分のやっている仕事とかが巡り巡ってどこかで、ゆったんを支えていれば良いなあと思う。
富士山
富士山
今日みたいに天気がいいと東京からでも富士山が見える。
富士山を見るといつも思い出すのが乃木坂46の10thシングル『何度目の青空か?』のヒット祈願。
このヒット祈願はメンバーが富士登山をする企画で、自分の中では乃木坂の歴代のヒット祈願で、最もおもしろく、見どころがあると思っていて、見たら泣いちゃうこともあるくらい。
そういう興味を持つきっかけもあったから、去年の夏休みには友達2人と富士登山にまで行った。
張り切って、こんな旅のしおりまで自作した。
意外とそんなに高くない気がするし、登山道具さえ揃えてしまえば、登山はわりと良い趣味になると思うんだよね。
まあ、1日目は天気も良くて、かなり余裕で山小屋まで着いたのだけど、夜中から2日目の朝にかけて酷い悪天候で登るのを断念して下山してきたんだけど。
結局、去年の夏は、登山を諦めて、麓のカラオケ店で、乃木坂曲歌って帰ってきただけだったけど、登山の楽しさを感じることができたし、それは一緒に登った友達も同じことを感じたんじゃないかなあと思っている。
自分は基本的にはインドア派で、休日とか一歩も家から出なくても平気だったりするけど、両親がどちらも登山するから、小さい頃から、白山とか立山とか登りに行っていたし、アメリカに住んでたこともあって、BBQとか、わりとアウトドア的なことも好き。
アウトドアはグッズを集めているとき、計画を立てているときから楽しいし、いつか子供と山登りできるようになると嬉しい。
とりあえず今年の夏にリベンジできたらと思っているのだけど、登れるかなあ。
今日の関連株
富士急行(東証一部 9010)富士山の5合目までのバスや、周辺の鉄道事業を行なう。
スノーピーク(東証一部 7816)アウトドア用品の製造販売を手掛ける。
連休初日の行列
連休初日
連休初日だというのに、駅前のパチンコ店に、開店待ちで並んでいる人がいて「やべえな」「ああいう風にはなりたくないな」と思った。
まあ、自分はパチンコ店に入ったこともないし、やったことないものをそういう風に言うのはダメかもしれないけど・・・
でも、やっぱりパチンコは自分の中で、あんまり良いイメージ持ってない。
冷静に考えると、どこの駅前にも大体、パチンコ店があるし、全国津々浦々にまで大小のパチンコ店がある。日本はギャンブル大国。
国会で「統合リゾート推進法(2016年)」や「統合リゾート実施法(2018年)」が議論されているときに、
「日本にカジノができれば、ギャンブル依存症が~」とかそういう批判があったけど、既に日本はいたるところで、ギャンブル施設があるし、ギャンブル依存症の人だって相当いるはず。
縮小傾向にあるものの、公営ギャンブルや宝くじと比較しても、パチンコ・パチスロ市場は圧倒的に大きい。
パチンコ機・パチスロ機の市場も8000億円規模と大きい。
周辺産業も含めて、ここまで大きく、社会に溶け込んでいるパチンコ・パチスロ産業は、違法にして、廃止にするっていうのは無理なんだろうなあ。
パチンコ関連株
こんなに大きい産業だけど、パチンコ関連株はそんなに多くなくて、
それは、実は、パチンコホール運営会社は東京証券取引所に上場できないから。
上場できない理由は「パチンコの運営方式は合法なのか、違法なのか曖昧」だから。
最大手のマルハンは東証に何度か上場申請するも却下され非上場のまま、2位のダイナムは日本での上場を諦めて香港証券取引所に上場している。
パチンコ機・パチスロ機を作っている企業はいくつか上場していて、大きいところだと
- セガサミーホールディングス
- SANKYO
- 平和
- ユニバーサルエンターテインメント
周辺機器などを作っている企業だと
- ダイコクエレクトリックホールディングス(コンピュータシステム)
- サン電子(制御機器)
- オーイズミ(メダル関連機器)
- マースグループホールディングス(パチンコ機内蔵計数機)
- EIZO(パチンコ機の液晶ディスプレイ)
- グローリー(両替機や関連システム)
各社の業績をちょっと調べてみたけど、パチンコ機・パチスロ機メーカーは業績の振れは大きいけど、基本的に高収益。
各社とも営業利益率20~30%の実力があって、毎年の振れで変動している感じかなあ。
このパチンコ関連株の中で、自分が好きな企業は、やっぱり石川県のEIZOかな。
各種モニターを製造している企業で、昔はパチンコの液晶ディスプレイが事業の柱だったけれど、
今では、パチンコ業界への売上は低下していて、
医療機関向けモニターや、産業用途向けモニターが成長して、アミューズメント(パチンコ機)向けモニターの減少を補いながら成長。パチンコ関連株とは言えないところまで来ている。
リーマンショックや民主党政権化の円高期にも黒字を保ちながら、毎年、5~10%の営業利益率を出している優良企業。
こういう地方で頑張っている優良企業がやっぱり好き。
産業としては興味あるけど、パチンコしようとは多分、この先も思わないかなあ。
今日の関連株
セガサミーホールディングス(東証一部 6460)パチスロ機はサミーが手掛ける。
SANKYO(東証一部 6417)パチンコ機製造大手。財務体質優良。
平和(東証一部 6412)パチンコ・パチスロ機大手。傘下にゴルフ場のPGM。
ユニバーサルエンターテインメント(東証JQS 6425)パチスロ機大手。フィリピンでカジノ運営。
EIZO(東証一部 6737)産業用、医療用、遊技機用など各種モニター製造。
野口遵
曾木電気
鹿児島県伊佐市にある曽木発電所跡に行ってきました。
— 社会科見学に行こう! (@kengakuorg) 2018年7月3日
この発電所は1909年、牛尾大口金山に電力を供給するために作られたもので、昭和40年に鶴田ダム建設の際、ダム湖に水没。
夏の時期は水害を防ぐためダム湖の水を抜いているため姿を現します。
今後、3DCG化も試みたいと思います。 pic.twitter.com/KcDMCTgYmP
鹿児島県にある曾木発電所を見学できるガイドツアーがあるらしい。夏になるとダムの水位が低下して、水面の上に現れる。
実は、この曾木発電所、日本の名だたる企業の原点でもあって、日本の重化学工業の発展の歴史を考えると、とても価値のある建物。
チッソ、JNCが曾木電気の直接の後身で、旭化成や信越化学なども曾木電気から派生して設立された企業。
野口遵
この曾木電気を設立し、関係する企業グループ「日窒コンツェルン」を創設したのが野口遵(のぐち したがう)。
1837年石川県金沢市生まれで、石川県出身の自分にとっては、とても尊敬している企業家の一人。
野口は、帝国大学工科大学電気工学科を卒業した後、電力関係の技師として、各地の発電所や送電線の設置に関わっていた。
その野口のところに、鹿児島県の鉱山関係者から鉱山に供給するための発電所を建設してほしいと頼まれ、野口は鹿児島県の矢楯川に1907年水力発電所を設置して、これが曾木電気となる。
そしてこの曾木電気を起点として、生み出される余剰電力を使って、カーバイド、アンモニア、その副生品を事業化して日窒コンツェルンを大きくしていった。
日窒コンツェルンは、
などと並び、1930年代以降、日本の重化学工業を勃興させた新興企業グループだが、朝鮮に積極的に進出し、終戦時は、資産の約8割が朝鮮半島にあった。
終戦により、その資産を喪失しグループは大きく縮小したという歴史も持っている。
北朝鮮では、現在でも日窒が作ったダムが現役らしい。
こういった同郷の偉人が残した功績のもとに自分たちは生きているし、功績がもっと知られてほしい。
最初に載せたツイートに戻るけど、同郷の偉人が作った産業遺跡の曾木発電所、一度ぜひとも見に行きたい。
今日の関連株
旭化成(東証一部 3407)旧‐日本窒素肥料(日窒)の延岡工場を譲受して設立。
積水化学工業(東証一部 4204)戦後、日窒従業員の救済のために設立。